「東大までの人」と「東大からの人」。そして「東大すらの人」←new

先日おもしろいツイートを見つけた。

 

それがこちら↓

 


どうやら筆者は「東大すらの人」という新表現誕生の歴史的瞬間に立ち会ってしまったらしい。

 

この表現は今後間違いなく流行ると思う。それも東大生側の反論用の痛烈な表現として…。

 

どういうことか全くわからないという人もいるだろうから簡単に説明していく。

 

他の記事で「東大文系は基本的に無能」という発言をしているが、今回は「東大生は優秀」と言っていて、矛盾しているかのように見えるかもしれない。しかし、この記事で「優秀」といっているのは「東大までの人」という単語を使って優越感に浸ってる学歴コンプ野郎よりかは少なくとも優秀という意味合いで使っている。筆者は東大至上主義者ではないことを明記しておく。

「東大までの人」と「東大からの人」

まず、「東大までの人」「東大からの人」という単語が以前から人口に膾炙していた。割とよく聞くので、言葉自体聞いたことがあるという人もいるかもしれない。

 

前者は、だいたい「東大入学までは順調だったがその後が全然ダメで脱落してしまった人」といった意味で、後者は「東大に入学してさらに飛躍する人」といった意味だろう…。

 

ここで何を以って脱落なのか、また、何を以って飛躍なのかがつっかかってしまうのだが、一回それは置いといて、上二つの言葉の意味はなんとなくお分かりいただけただろう。

 

基本的には「東大までの人」と「東大からの人」という表現はセットで使われるはずなのだが、東大生があまり好きではない世間様は「東大までの人」を単独で使うのを非常に好む。(というより、個人的には「東大までの人」がメインで「東大からの人」はサブみたいな感じだと思ってる。普通に考えて東大生はみんな優秀で「東大からの人」なはずだからわざわざこんな単語が生まれるはずがない。明らかに「東大までの人」を使いたいがために副産物として出てきただけだろう。)

 

「東大すらの人」

上の筆者の考察と同じように、「東大までの人」という表現が東大出身者をばかにしたいだけだと考える東大生がむちゃくちゃ多い。そして、これは本質情報なのだが、「東大までの人」と東大生を批判する人はだいたい「東大すら入る実力がない人」なのだ。ただのひがみなのである。

 

 

東大に合格することがどれほど大変なことなのかを真に理解している人は、自虐以外は口が裂けても「東大までの人」なんて使わない。東大生で「東大までの人」という表現を使っている人は少なくとも筆者の知る限りでは1人もみたことがない。

 

東大入学して退学しようがフリーターになろうがニートになろうが、一度たりとも東大に合格したことがあるのなら「まで」も「から」もクソもなく、正真正銘の「東大の人」である。誰がなんと言おうと人生で最も難しい挑戦の1つをしそれにクリアした。賞賛されるべきことだと思う

 

それにも関わらず、「東大までの人」と平気で発言する輩はおそらく人生において本気で努力したことがないのだと思う。努力を知らないから平気でそのようなことが言えるのだ。そういった人間はだいたい、努力してこなかったが運良く恵まれたポジションにいる奴か全く努力をしたこともなく現状に不満ばかり抱いているやつのどちらか。

 

今まで散々東大生はバカにされてきたが、「東大すらの人」という表現が生まれてからは形勢逆転の構図になると筆者は予想している。自身の実力不足を指摘されて膝から崩れ落ちる人が多数発生することだろう。

 

今後の世間vs東大生の展開が楽しみである。

最新情報をチェックしよう!