先日おもしろいツイートを見つけた。
それがこちら↓
「東大までの人」という表現をよくみるので新しく「東大すらの人」という表現を流行らせたい。()
— 初心者/しゅn (@beginner_C) October 12, 2020
「東大までの人」とか言ってる人だいたい「東大すらの人」説
— PSX (@PSXase5) October 12, 2020
どうやら筆者は「東大すらの人」という新表現誕生の歴史的瞬間に立ち会ってしまったらしい。
この表現は今後間違いなく流行ると思う。それも東大生側の反論用の痛烈な表現として…。
どういうことか全くわからないという人もいるだろうから簡単に説明していく。
「東大までの人」と「東大からの人」
まず、「東大までの人」「東大からの人」という単語が以前から人口に膾炙していた。割とよく聞くので、言葉自体聞いたことがあるという人もいるかもしれない。
前者は、だいたい「東大入学までは順調だったがその後が全然ダメで脱落してしまった人」といった意味で、後者は「東大に入学してさらに飛躍する人」といった意味だろう…。
ここで何を以って脱落なのか、また、何を以って飛躍なのかがつっかかってしまうのだが、一回それは置いといて、上二つの言葉の意味はなんとなくお分かりいただけただろう。
基本的には「東大までの人」と「東大からの人」という表現はセットで使われるはずなのだが、東大生があまり好きではない世間様は「東大までの人」を単独で使うのを非常に好む。(というより、個人的には「東大までの人」がメインで「東大からの人」はサブみたいな感じだと思ってる。普通に考えて東大生はみんな優秀で「東大からの人」なはずだからわざわざこんな単語が生まれるはずがない。明らかに「東大までの人」を使いたいがために副産物として出てきただけだろう。)
「東大卒」の中途採用は要注意?「東大までの人」の特徴。東大生にかぎって、就職活動の場での評価が極端にお粗末な人がいる。「東大までの人」は行動量や熱意が少なく、仕事ではあまり使えないと専門家。中小企業が東大卒を中途採用する際は、少し慎重になった方がいいと指摘・・らしい
— タント (@tant01) October 12, 2020
「仕事がデキない東大卒」が陥るただ1つの失敗 プライドが肥大した「東大までの人」には要注意 https://t.co/sRqOkYAoEt
— MSN Japan (@MSNJapan) October 12, 2020
「東大すらの人」
上の筆者の考察と同じように、「東大までの人」という表現が東大出身者をばかにしたいだけだと考える東大生がむちゃくちゃ多い。そして、これは本質情報なのだが、「東大までの人」と東大生を批判する人はだいたい「東大すら入る実力がない人」なのだ。ただのひがみなのである。
東大すら行けなかった人「東大までの人」
— 牡蠣ちゃん (@Cbzek) October 12, 2020
東大に合格することがどれほど大変なことなのかを真に理解している人は、自虐以外は口が裂けても「東大までの人」なんて使わない。東大生で「東大までの人」という表現を使っている人は少なくとも筆者の知る限りでは1人もみたことがない。
東大入学して退学しようがフリーターになろうがニートになろうが、一度たりとも東大に合格したことがあるのなら「まで」も「から」もクソもなく、正真正銘の「東大の人」である。誰がなんと言おうと人生で最も難しい挑戦の1つをしそれにクリアした。賞賛されるべきことだと思う。
それにも関わらず、「東大までの人」と平気で発言する輩はおそらく人生において本気で努力したことがないのだと思う。努力を知らないから平気でそのようなことが言えるのだ。そういった人間はだいたい、努力してこなかったが運良く恵まれたポジションにいる奴か全く努力をしたこともなく現状に不満ばかり抱いているやつのどちらか。
今まで散々東大生はバカにされてきたが、「東大すらの人」という表現が生まれてからは形勢逆転の構図になると筆者は予想している。自身の実力不足を指摘されて膝から崩れ落ちる人が多数発生することだろう。
今後の世間vs東大生の展開が楽しみである。
東大出てもバカはバカ 勘違いを止められない人々 /飛鳥新社/豊田有恒