「なぜ勉強するのか?」「勉強する理由がわからない」という疑問や悩みは、勉強したことのある人なら誰でも考えたことがあるだろう。
しかし、勉強する理由をちゃんと考えてしている学生は少なく、子どものそうした質問にはっきり答えられる大人もあまりいないのが現状だ。
ネットで検索しても、なぜ勉強するのかを論理的に説明できている記事はほとんどなく、どの記事も「人生が豊かになるから」などといった綺麗事に終わっているものが多い。
そこで今回は、首席合格者をはじめとした100人以上の学生にインタビューをしてきた現役東大生の筆者が、なぜ勉強するのかをわかりやすく納得のできるように解説していきたいと思う。
後半では科目別に「なぜその科目を勉強するのか?」ということも説明しているので、苦手意識をもっている科目がある人はぜひ最後まで見てもらいたい。
・東京大学の現役学生が執筆
・物心ついた頃から「なぜ勉強するのか?」を考えてきた
・メディア活動を通して100人以上の学生にインタビュー経験あり
なぜ勉強するのか?その理由①憲法で義務付けられているため
この記事を見ているのはほとんどが中高生だと思うが、彼らにとっての「なぜ勉強するのか?」という疑問は「なぜ学校教育を受けなければいけないのか」と等しいと筆者は考える。
すると、まずは「なぜ学校で勉強するのか?」を説明しなければならない。
結論から言うと、学校で勉強しなければならない理由は日本国憲法で義務教育として規定されているからだ。
第4条 (義務教育)国民は、その保護する子女に、九年の普通教育を受けさせる義務を負う。
正確に言うと、子どもに勉強する義務はなく親に子どもを学校に行かせなければならない義務があるのだが、細かいことは抜きにして、とにかく学校教育が義務であることは日本国民なら誰でも知っているだろう。
日本という国で生きていくためには、基本的に政府の命令は絶対に守らなければならないので、なぜ勉強するのか分からなくても憲法が「学校で勉強しろ」と要求するならそれは絶対に守らなければならないんだ。
じゃあどうして日本政府は国民に勉強するよう求めるのか?と疑問に思う人もいるだろう。
この記事ではこれ以上深くは踏み込まないので気になる人はこちらの記事がおすすめだ。内容は少し過激(陰謀論に片足突っ込んでる)だが本質をついた論をわかりやすく展開していてなかなかに興味深い。
なぜ勉強するのか?その理由②あなたに才能が無く平凡だから
なぜ勉強するのか?こういう質問をしてくる学生に筆者は毎回以下のように聞き返す。
「逆に聞きたいんだけど、将来どのように食って生きていくか考えてる?」
こういうと大抵の場合黙りこくってしまう。おそらく本人も自分にこれといった才能がなく将来を生きていくだけの具体的な方法も考えつかないのは十分理解しているのだろう。だけど勉強は辛くてやりたくないから「なぜ勉強するのか?」といった質問をして共感を求めようとしてしまう。
現代社会においては才能のないものが努力せずに生きていくのは非常に難しい。太鼓の昔ならその辺の動植物を狩猟採集してその日暮らしをしていればよかったが、現代の高度に発達した都市文明ではそうはいかない。
誤解を恐れずに言うと、現代日本では才能がある人間から優先的に選ばれていき、残された平凡な人間は受験というシステムで成果を出した順に評価されていく。
この観点から、受験というのは凡人が現代社会で生きていくために作られた救済システムと言ってもよいだろう。才能のない凡人はこの受験システムを利用するのが最も効率よく生きていく方法なのである。
「中学生だけど、東大に入るにはどうすればいいの?」「息子を東大に入れたいんだけど方法がわからない」「高校時代どう過ごせば東大に入れるか知りたい」 東大に入るにはどうすればいいかという質問が毎年多くの受験生や保護者か[…]
「なぜ勉強するのか?」という質問に非常に現実的な回答をすると、「凡人が成功するには基本的に受験勉強しか方法が残されていないから」というのが取り急ぎの模範回答ではないかと筆者は考えている。
なぜ勉強するのか?その理由③正誤判断能力をつける必要があるから
なぜ勉強するのか?という問いに上記とは別の観点から回答すると、勉強を通じて社会に出てからも通用する正誤判断能力を養う必要があるから、というのが挙げられよう。
受験勉強をやっているうちは定められた回答をすれば点数がくるが、社会人となるとそうではない。これが正しいよねという絶対的な答えがないのだ。それでも答えがないなりに正解に近いものを判断して決めていかなければならない。
そうした最適解に近づくためにも、答えのある問題を確実に解ける訓練を社会に出る前にしておけねばならない。
その訓練として最適なのが受験勉強だと筆者は考えている。訓練としての受験勉強で成果をきちんと出せた、いわゆる高学歴の人間が、政界やビジネス界のトップに多いのもこれが理由の1つだろう。
別に各業界のトップにならなくてもいいが、人間社会で生活していく上では些細なことから重大なことまで本当に様々な問題が起こるので、問題解決能力はやはり受験勉強を通して身につけておく必要があると思う。
これが、なぜ勉強するのか?という問いに対するこの記事の最後の回答である。
なぜ勉強するのか?その理由を科目別に
ここまでは「なぜ勉強するのか?」を全般的に解説してきたが、科目別に「なぜその科目を勉強するのか?」が知りたい学生もいるだろうから、ここから下では簡潔に英数国理社の勉強する理由を説明していこう。
英語をなぜ勉強するのか?その理由
国内市場の広い日本において、正直なところ、英語を勉強するそれらしき理由は見当たらない。
とはいえ、わざわざ項目を設けて説明することになっているので、なぜ英語を勉強するのか?という質問に簡潔に答えておこう。
英語を勉強する理由は「英語が現在世界で最も汎用性の高い言語だから」だろう。
日本人は日本語で検索するのであまり実感が湧かないだろうが、世界的に見るとあらゆる分野において英語の情報が圧倒的に多い。データにもよるが、例えば「英語 留学」と検索すると、日本語よりも英語の方が10倍も検索数が多いらしい。
いろいろなことを調べていると、日本語で検索しても満足のいく結果が出ないことがたまにあるが、そういった時に英語で検索するとヒットするということが往々にしてある。
また、これは英語を勉強する本質的な理由ではないのだが、この記事を見ている中高生の君たちが将来受けるであろう大学受験において、だいたいどこの大学も英語の比重というのが他の科目よりも重いから得意にしなければならないというのがある。
なんともやる気の出ない回答だが、こうして割り切った気持ちで勉強することも時には重要であるのだよ。
数学をなぜ勉強するのか?その理由
中高生が嫌いになる科目No1の数学を勉強する理由とは一体なんだろうか?
筆者が考える数学を勉強する理由は、「物事を論理的に考える力がつくから」だと思う。
数学を勉強する際には問題文を正しく理解し、既習の定理や公式を用いて論理的に正しい順序で正解を導き出す必要がある。この作業を通して、それぞれの思考の段階で物事をロジカルに考える習慣が身につくのだ。
最近は、上で習得する必要性が薄いと筆者が言った英語に変わって、キャリアアップのために数学を勉強し始める社会人が多いそうだ。多忙な社会人が時間を捻出して死に物狂いで学んでいるのだから、時間のある若い中高生の君たちがどうして数学を学ばずにいられようか。
まとめると、なぜ数学を勉強するのか?という問いには「ロジカルシンキングを身につけるためにも数学は勉強しておいた方が良い」というのが筆者の答えだ。
国語をなぜ勉強するのか?その理由
なぜ国語を勉強するのか?という質問は意外と多い。「自分で本を読めば良くね?」「そもそもなんで科目になってんの?」こうした疑問は多くの中高生が抱くだろう。
5教科の中で一番軽視されがちの国語だが、東大生の中では「正直国語が一番大事」「現代文の勉強してたら他の科目も成績伸びた」という意見が少なくない。
こうした東大生へのインタビュー結果と筆者自身の考えをまとめて答えると、国語を勉強する理由は「きちんとした意志の疎通ができるようにするため」ではないだろうか。ここでいう意志の疎通とは必ずしもリアルなコミュニケーションだけを指さない。出題者と受験生の問題文や回答を通した意志の疎通も含める。
国語という科目は、母国語である日本語を使って「相手の言っていることをきちんと理解しているか」「自分が理解したことを正確に表現できるか」という能力を試す科目だと筆者含め多くの東大生が考えている。
この能力は数学と同様に他の科目でも通ずるところがある。なぜなら、他の科目の使用言語が日本語だからだ。当然に国語の能力が高ければ問題処理能力と回答能力が格段に上がる。
以上をまとめると、なぜ国語を勉強するのかと言えば、それは「適切な意志の疎通を図るためであり、国語以外の科目の基礎力を上げるためでもあるから」が中高生に対するもっともためになる回答だろう。
ぶし東京大学法学部の4年生。高校の頃から麻雀が好きで、友達を家に呼んでは麻雀をして遊んでいた。大学に入っても麻雀に明け暮れている模様。大きなお友達とどこかの雀荘で面識があるらしいがぶし本人は気づいているのどうか?[…]
理科をなぜ勉強するのか?その理由
「なぜ理科を勉強するのか?」という問いに対しては、まさにその質問が答えのようなもので、人間の「なぜ?」と疑問に思う好奇心を育てるために理科という科目を勉強する価値がある。また、その好奇心に対する答えを導く過程で思考力も身に付けることができる。
地球で生活していると様々な場面で「なぜ?」を体験する。例えば、空が青いのはなぜ?窓が曇るのはなぜ?ものが落ちるのはなぜ?
理科を勉強すると、上のような典型的な例以外にもそれまでは考えもしなかったことに「なぜ?」と好奇心を抱くようになるだけでなく、このような「なぜ?」に正解かはわからないがそれに近い答えも出してくれる。
また、理科を学ぶと答えを知るだけで無く、その過程でどのように思考していけば現象を説明できるのかという問題処理能力も身に付く。
これは学生を終えて、社会に出た後も「なぜタピオカがブームになったのだろう?」「なぜアジア人は新型○ロナに耐性があるのか?」といった様々な問題を自分の頭で考える際の基礎力となる。
まとめると、なぜ理科を勉強するかと言えば、それは普段考えもしないようなことに対して「なぜ?」と感じられるほど想像力が膨らんだり、疑問に思った対象に対してのアプローチ方法を習得することができるからというのが答えではないだろうか。
社会をなぜ勉強するのか?その理由
なぜ社会科目を勉強するのか?これを考えるためには、社会を歴史と公民に分けて考えた方が良いだろう。
まず、公民を勉強する理由についてだが、これは社会に出て生活する人間にとっては大前提となるからだ。人権について知らなければ無意識のうちに他人の人権を侵害しかねないし逆に自分の人権がパワハラなどによって侵害されていることに気づかず損害を受けてしまうことがある。他にも選挙にいく重要性など、諸々の社会の仕組みを知らないとまずいのでは?というようなことを一通り勉強する。
次に、なぜ歴史を勉強する必要があるのか?に関してだが、これは正直現行の学校教育や受験歴史のあり方が間違っているので、中高生が歴史科目の不毛な暗記に存在価値の疑問を抱くのも自然だと思う。
筆者もアルバイトで高校生に日本史を教えることがあるのだが、私立大入試の日本史対策は本当に時間と脳のスペックの無駄ではないかと思われるほど不毛だ。覚える内容が重箱の隅をつつくレベルを超えるレベルで細かすぎる。
歴史の勉強意義とは本来同じ過ちを繰り返さないためではないのか?
人類が過去の出来事を学ぶのは「昔はこんなことがあったのか」というのを知るためでは無く、「昔にこんなことがあったのか。じゃあ俺たちはそうならないように気をつけよう」と先代と同じ轍を踏まないように建設的な結論に発展させるためではないのか?
昔の知識を聞いてクイズのように答えさせてその行為にいったい何の意味があるのだろうか?中高生が直感で感じる歴史の勉強の不毛さは間違っていないと思う。
まとめると、社会科目を勉強する理由は、現代社会で生きていくための基礎知識を習得するためであり、かつ先代と同じ轍を踏まないようにするため。これが答えだと筆者は考える。
まとめ
つかれた。